中尾七重「九間」を持つ関東平野の民家と古河公方の関連について 建築史学第72号,2019.3 鎌倉公方について 室町時代、鎌倉幕府の後に鎌倉公方が置かれ、関東の行政に当たった。 鎌倉公方には代々、足利氏が着任した。 公方を補佐する関東管領として上杉氏が代々着任した。 場所は、鎌倉時代の足利屋敷が利用された。 初代は足利尊氏の子基氏(正平4(1349)年)。 永享の乱で持氏が自刃(1438)し、鎌倉公方は途絶える。 持氏の子成氏が上杉憲忠を忙殺し、享徳の乱が起こる。 幕府は成氏討伐を決定し、成氏は古河に敗走(古河公方)。 幕府は後任として政知を派遣するが鎌倉に入れず伊豆に止まる(1459堀越公方) 文明14(1483)和睦。 中尾によると、古河公方の支配地と、九間民家の分布域が重なる。